脳神経外科医亦野文宏(またのふみひろ)

インタビュー

「頭蓋底外科分野で高い評価を受ける」医師から学んだ、修業の日々フランス留学では、世界的に高い評価を受けているセバスチャン・フローリッシュ教授の指導を受けられたと伺いました。どのような経験だったのでしょうか?

私の専門は脳血管障害を中心にスタートしましたが、恩師の一人である森田明夫教授から「もう一つサブスペシャリティを持つと良い」と助言を受け、頭蓋底腫瘍領域を極めるため、2019年にフランスにあるラリボアジエール病院脳神経外科へ留学しました。そこではセバスチャン・フローリッシュ教授のもと、約3年間、頭蓋底腫瘍摘出術を中心に直接指導を受けました。日本はフランスと比較して医療機関数が多いことから、比較的稀といえる頭蓋底腫瘍を執刀するチャンスは多くありません。したがって、この分野で実践的な手術技術を身につけるには時間がかかります。
一方フランスでは、脳外科手術がパリの限られた病院に集約されているため、ヨーロッパ各地から患者が集まり日本では経験が限られる症例を数多く経験できました。

渡仏当初はフランス語の試験に合格しないとビザ申請もできず、最初の1年はリサーチフェローとして過ごしました。しかし資格を取得した後は、現地の脳外科医として手術・診療にも携わりました。言語面の苦労はありましたが、その分、臨床経験と専門技術は飛躍的に広がったのです。

“挑戦と成長のチャンス”の橋渡し役になりたい

日本医科大学付属病院での仕事と役割について教えていただけますか。

現在、日本医科大学付属病院脳神経外科で医局長を務め、4病院に所属する約35名の医師とともに診療・教育体制の運営に携わっています。本院の医局長としての役割に加え、全体の調整役も担いながら、診療体制の調整や若手医師の育成などに取り組んでいます。

医師としては現在、脳動脈瘤、もやもや病、髄膜腫、下垂体部腫瘍を中心に専門外来を担当し、フランスで得た知識と技術を生かして診療にあたっています。医局長となった今でも手術件数は非常に多く、時には昼間だけでは終わらないこともあります。それでも手術・診療に従事し、一人でも多くの患者さんに貢献したいと考えています。患者さんの「ありがとう」のひと言、回復する姿が頑張る原動力になっています。臨床の現場に携わり続けた経験を大切にしながら診療に取り組んでいます。その延長として、近年は海外からの講演依頼もあり、手術に関する知見をオンラインや現地で共有する機会をいただいています。

脳神経外科の全領域で積み重ねてきた経験――累計3,200件の執刀

これまでの執刀件数や経験について教えてください。

私はこれまで、脳神経外科の全領域で幅広く手術を手がけてきました。脳外科を専攻してからの手術件数は、累計約3,200件に上ります。

特に専門性の高い領域としては、

  • 脳動脈瘤クリッピング術:566件
  • 脳血管バイパス術:223件
  • 脳腫瘍・頭蓋底腫瘍摘出術:470件
    (2025年12月時点)

脳血管障害領域では、恩師である村井保夫教授に脳外科専攻医時代から10年以上にわたって師事し、今なおその背中を追い続けています。さらに、脳腫瘍・頭蓋底腫瘍手術については、森田明夫先生から多くの事を学びました。先にも触れましたが、セバスチャン・フローリッシュ教授から直接指導を受け、特に頭蓋底腫瘍領域では得難い経験を積むことができました。このフランスでの経験が、今の頭蓋底外科医としての自分の基盤をつくってくれたと感じています。命に関わる手術が多い脳外科だからこそ、積み重ねた経験を患者さんの安心につなげることが、自分の大切な役目だと考えています。

医局長としての役割やこだわりを教えてください。

医局長になってから特に意識しているのは、「若手の医師たちがのびのびと働ける環境をつくる」ことです。脳外科は技術の世界ですが、伸びるスピードは人それぞれ。私は、自分がフランスの留学で厳しさと同時に温かさを感じられたように、若手にも“挑戦と成長の機会を提供したいと考えています。

チームとして患者さんに向き合うためには、「どの医師にあたっても安心できる医局」であることが理想です。私の役割は、その土台を整えることだと考えています。

また、大学病院において、次世代を育てることは欠かせない使命です。ただ、その方向性は1つである必要はないとも思っています。今は、働き方や価値観が多様な時代です。研究に打ち込みたい人もいれば、家庭を大切にしたい人、あるいはキャリアチェンジを考える人もいます。妊娠・出産や家族の介護などで、一時的に現場を離れなければならない先生もいるでしょう。私は医局長として、そうした多様性を尊重し、「いろいろな生き方があって良い」と常に伝えています。

脳神経外科はハードなイメージを持たれがちですが、だからこそ一人ひとりが“自分らしい働き方”を選び、その実現を医局として支えていくことが大切だと思います。若い先生たちが「ここなら自分が成長できそうだ」「自分のキャリアを描ける」と感じて入局を決めてくれるように取り組んでいます。村井教授のテーマである【自己実現のサポート】を私は医局長として、皆さんが“なりたい自分”へ向かって進んでいけるよう、これからも全力でサポートしていきたいです。お互いに個性を尊重しながら協力し合い、1つのチームとして患者さんを救うために向き合う――それが、私が理想とする医局の姿です。

医師を志した理由―。心を揺さぶられた“命を救う現場”

医師を志したきっかけを教えてください。

きっかけは、子どものころに見ていた医療ドラマやドキュメンタリーでした。救急の現場で命を救う医師たちの姿に胸を打たれ、「自分も人の命を救える存在になりたい」と思うようになったのです。外科医を志したのも“より厳しい状態の命を救える医師になりたい”という強い思いがあったからでした。それに脳外科手術を初めて見たとき、その精密さと美しさに魅了されたことは今でも忘れられません。

大学6年生のときに見た『プロジェクトX』で、札幌禎心会病院の上山博康先生の姿に強い衝撃を受け、「全身全霊で患者を救う医師になりたい」と決意しました。実際に医局に入ると、指導してくださる先生方の多くが上山先生の薫陶を受けた門下生であることを知り、深いご縁を感じました。さらに幸運なことに、国内留学の機会を得て、上山博康先生ご本人、ならびに上山先生に師事しております谷川緑野先生から直接ご指導を賜ることができました。

これまで私は村井保夫先生をはじめとして、本当に優れた師匠に恵まれました。プライベートで犠牲にしたものも少なくありませんが、「患者さんにすべてを注げる腕を磨く」という原点は変わらず、現在の診療姿勢の基盤となっています。

患者にとっての“適切な選択”について

命に関わる症例が多い脳外科は判断が難しいと聞いています。
亦野先生が考える、患者さんにとっての適切な選択について教えてください

脳の病気は、どうしても不安が大きく、治療方針も「手術か」「様子を見るか」など判断が分かれます。実際に、担当医によって意見が違う場面も珍しくありません。患者さんからすれば、「本当にこの判断でいいのだろうか」と迷って当然だと思います。私が大切にしているのは、その方にとって本当に必要で、納得できる選択肢を提示することです。

治療には手術以外にも、放射線治療や経過観察など、さまざまな道があります。

大事なのは、
「なぜ今は様子を見るべきなのか」

「なぜ手術が適切なのか」

「なぜ別の治療法をすすめるのか」
その“理由”を丁寧に言葉で伝えることだと考えています。

それは私がずっと心に留めている言葉があるからです。

“自分の家族だったらどうするか――”


これは、恩師である森田明夫先生に繰り返し教えられてきた姿勢です。どれだけ難度の高い病気であっても、「医者側の事情でできない」「危ないからやらない」という判断だけにとどまってしまってはいけません。本当にその治療が必要なのか、別の選択肢はないのか。自分の家族を前にしたときと同じ視点で考えることで、初めてその方にとって適切な選択を考えられると考えています。 手術は怖いものです。患者さんにとっては、できれば避けたいと感じるのが自然です。それでも、本当に手術が必要な状況なら、しっかり理由を説明して納得できる選択ができるよう支援をする必要があります。一方で、無理に手術へ誘導するような医療も、決してしたくありません。患者さんが「この選択で良かった」と納得して治療を受けられるように【経験に基づいた判断】と【誠実なコミュニケーション】を何より大切にしています。そして「もし自分の家族だったら」と常に自問しながら、適切な医療を提案していくことが、私の揺るがないスタンスです。

■低侵襲手術に対する考え

身体への負荷が低いことで知られる低侵襲の手術も行われていますね。

私は低侵襲手術、いわゆる「鍵穴手術」や鼻から内視鏡をいれて治療する経鼻内視鏡手術に取り組んできました。皮膚の切開を最小限に抑え、短時間で行えるため、患者さんの身体的負担は小さくなり、社会復帰も早くなります。病院のホームページでも発信していますし、この分野には強い思いがあります。

しかし私は、“低侵襲であること”を最優先にはしません。大切なのは、その方法が本当に患者さんの長い人生にとって最善かどうかです。低侵襲とされる治療を選択する際には、単に傷が小さいかどうかだけではなく、「従来の治療と同等の治療効果が得られるのか」「再発率は同じなのか」「万が一合併症が起こった場合、その重症度はどうなのか」といった点まで含めて慎重に評価する必要があります。

手術や治療には、それぞれメリットとデメリットがあります。例えば、動脈瘤の治療であれば、開頭によるクリッピングも、カテーテルによるコイリングも、それぞれに利点と欠点、限界があります。どちらが患者さんにとってより安全で、より確実な治療効果を期待できるのかを見極めることが重要です。

誤解されがちですが、低侵襲手術だから合併症が少ないとは限りません。たとえ傷が小さくても、治療効果が不十分で再発したり、重い後遺症を残したりしてしまっては意味がありません。逆に、ある程度しっかり開頭した方が病気を根治できる可能性が高く、結果として合併症のリスクを低く抑えられる場合もあります。まさに「良薬口に苦し」という言葉のように、短期的な負担が多少大きくても、長期的には患者さんにとってより良い結果につながる治療が存在します。

私が重視しているのは、
①合併症をできる限り抑えること(後遺症を残さないこと)
②病気に対して十分な治療効果を目指すこと(病気をしっかり治すこと)
③可能な範囲で身体への負担を抑えること
この3つのバランスです。
そのため、低侵襲手術を希望される患者さんに対しても、病気の性質、年齢、全身状態、そして将来の生活まで含めて総合的に判断し、「こちらの治療法の方が適している」と考えれば、その理由を丁寧に説明させていただきます。 診察では、それぞれの治療法のメリットとデメリットをできる限りわかりやすくお伝えしています。時間はかかりますが、命や人生に関わる治療だからこそ、患者さんご自身に十分理解していただいたうえで治療を選択していただきたい。それが私の基本姿勢です。

■座右の銘と、患者さん・ご家族へのメッセージ

座右の銘と、患者さんへのメッセージをお願いします。

― 「真摯(しんし)であれ」を胸に、患者さんの人生を守るために最善を尽くす

私の座右の銘は、「真摯(しんし)であれ」です。医師の仕事は、人の命に関わる責任の重いものです。どれだけ技術を磨いても、誠実さが欠けていれば患者さんの信頼は得られません。どんな状況でも、自分にうそをつかない医療を行うことを心に決めています。患者さんやご家族は、不安や恐れの中で病院を訪れます。だからこそ、私は「ここに来て良かった」と思っていただける診療・治療に取り組みたいです。 脳外科の治療は難しい場面も多いですが、患者さん一人ひとりに最善の道を示すために、これからも技術と知識を磨き続けます。そして、これからも私は患者さんやご家族の選択を尊重しながら一緒に最適な治療を考えていきたいと考えています。